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50代、壁を扉にかえる!

はじめまして。

パーソナル・カウンセラーの「のーりー」と申します。50代の男性です。

26年間、動物病院で犬猫の治療にたずさわっていました。

皆さんはここ数年の時代の変化の速さをどう感じていますか?

私と同世代の方の中には、あまりにも目まぐるしく変わることに、もうついていけないよと思っている方もいるのではないでしょうか?

私も先日行った本屋が顔認証しないと入れないといったところで、はじめてだったため戸惑ってしまいました。

何度も行ったことのある本屋だったのですが、システムが変わったようで、今まで気さくにあいさつしてくれていた店員さんはおらず、無人の本屋になっていました。

正直言って、なんだか落ち着かなかったです。

年を取ると時間がはやく感じるといいますが、今の時代の速さは決して年齢だけのせいではないと私は感じています。

変化の風の強さに、思わず自分がグラッときてしまうという方もいるかもしれません。

このような変化の時代には、自分の軸が大切となってきます。

そのせいでしょうか?

ここ数年、「自分軸」という言葉によく出会います。

ただ、ここでしっかり確認しておきたいことがあります。

自分はどこに行きたいかということです。

どんな感情を感じたいか、と言いかえてもいいかもしれません。

そのために必要なのが今の自分の感情、状態をしっかりと把握しておくことです。

それがわかっていないと自分軸ってありえないですよね。

自分がどんなことを欲している人間なのかわかっていないのに、軸を作ろうとしても無理があります。

目的地を設定しないとナビは動き出せないのと一緒です。

50代は今までの人生を振り返り、今後どこに向かっていきたいか、人生のナビを設定し直す必要がある年齢だと私は思っています。

もちろん、どんな年齢からでもナビの設定は可能です。

ですが、50代は微妙なお年頃なんですよね。

これを読んでくださっている同世代の方なら、なんとなくわかってくれるかなと思います。

もっと、若ければ思い切ってアクセルがふめる。

もうちょっと、年がいけば、いろんな意味で諦めもつきやすくなり、ブレーキ主体でもいいかなって思えるかもしれない。

その中間世代の我々は一人で悩んでいる時間が一番もったいないと思うのです。

同世代の方、私のように自営業を営んでいた方、専門職の方、ようするに私自身の経験がひょっとしたらだれかの役に立つのかもしれないと思い、パーソナルカウンセラーという仕事をしています。

まずは、私自身がどのような人生を送ってきたかをまとめてみましたので、読んでいただけたらと思います。

ムツゴロウさんにあこがれた子供時代

子供の頃から私は大の動物好きでした。

小学生のころはアパートに住んでいたためペットは飼えませんでしたが、近所の方で犬を飼ってる人の家に行きそこで犬とよく遊んでいました。

特に私が気に入っていたのはマルチーズの「まる」です。

まるは、美人のお姉さんに飼われていました。

まるの家に行くと、お姉さんに会えるということも楽しみのひとつでした。

私は学校から帰るとすぐに「まる~」と言ってまるの家に遊びに行っていました。

中学に入ると我が家は一軒家を建てて引っ越すことになります。

そこで、私もようやく犬が飼えるようになりました。

その頃です。

私が、給食当番で白衣を着て立っているとき、担任の先生が「お前、白衣似合うよなぁ」と言ったのです。

ひとの言葉が、どこでどう影響するかなんてわからないものですね。

私はその言葉を聞いた瞬間「よし、獣医になる」って思ったのです。

今でもそのときのことは、ほとんどピンポイントで思い出すことができます。

ムツゴロウさん(畑正憲)が好きだった私はかれが書いた本を中学時代に40冊ほど読んでいたのでその影響もあったのかもしれません。

ただ、私は勉強があまりできませんでした。

成績はクラスでも下から数えたほうが早いといった感じでした。

ただ、よくしゃべり明るかった私はクラスでは人気者でした。

全校生徒の前でコントを披露したりして、皆を笑わせることに夢中でした。

中学時代は本当に楽しく過ごしたのです。

獣医師になると決めた私は、いろいろ調べ始めます。

そして、こりゃあ、どうやら結構勉強しないと獣医科のある大学には入れないぞ、ということがわかってしまいました。

当時あまりにも私が勉強しないので、親が心配して私に家庭教師をつけてくれていました。

その方との出会いもまた、私の人生に大きな影響を与えることとなります。

当時大学生だった先生は勉強だけでなく、私の相談には恋愛もふくめ、どんなことにも熱心に耳を傾けてくれました。

またテストが近くなると、延長料金もとらずに朝方まで勉強につきあってくれたのです。

今思い返しても感謝しかありません。

勉強の甲斐もあり、高校はなんとか進学校に進むことができました。

盛り上がる学園祭を一人で見ていた高校時代

高校入学と同時に私は別人へと変わります。

あれだけ皆とふざけて、バカ話で盛り上がっていたかつての私とはガラッとかわり、まじめでおとなしい人間になっていったのです。

友達も少なくなりました。

ただどうして、そうなったかは今だによくわかりません。

50歳になってから中学の同窓会に行って、中学高校と一緒の学校だった人からは「高校に行ってすっかり変わっちゃたもんなぁ」と言われました。

ほんとに変わっちゃたんです。

それで、勉強をたくさんして獣医科の大学に受かったかといえば、ストレートにはうまくいきませんでした。

高校卒業後、私は予備校に通うことになります。

そこで、今度は体の異変に襲われました。

朝、満員電車に乗ると決まってお腹が痛くなってしまうのです。

あと一駅というところで、駅を降りトイレに駆け込むということが何度もありました。

私はそういう体の異変を誰にも相談しませんでした。

予備校には同じ高校の友人や、予備校で知り合った人もいました。

しかし、私は彼らとちょっとした冗談を言ったりはしても、悩みを相談したりすることはしませんでした。

しなかったというより、できなかったのです。

他人の悩みなんか誰も聞きたくないだろう、とどこかで勝手に決めつけていました。

親に話せば、病院に行け、ではい終わりだと、これも勝手にそう思っていました。

だから、親にも相談はしませんでした。

悩みのない元気な人間でなければ人からは好かれない、と幼い頃からどこかでそう思い込んでしまっていたのかもしれません。

最もふだんは健康状態に問題もなかったので、なんだろうなぁくらいで済ませていたのです。

浪人して私は、獣医科の大学に合格できました。

合格通知が届いた日のことは忘れられません。

とてもうれしく、ここから楽しい人生が始まると自分でも期待していました。

人との距離感に悩んだ大学時代

ところが、大学生になっても、私の人との関わり方は高校時代と変わりませんでした。

人と積極的に交わることをせず、仲の良い友だちはいましたが、サークル活動のようなグループで盛り上がるといったことは苦手でした。

お酒の味も覚えて、いろんな集まりにも顔を出したりして友人を増やそうと努力をしました。

だれとでもすぐ仲良くなれる人が羨ましかったのです。

ですが私が飲んで喋るのはいつも同じ人達でした。

大勢の集まりでは自分の場所がないような感覚になり、居心地が悪かったのを覚えています。

結局私は大学時代も、積極的に友人を作ることはありませんでした。

ただ、最初は食事付きの下宿に住んでいたので、そこで仲良くなった人とはその後卒業するまでよく遊びました。

人との付き合いが少なかった分、私には自分のために使える時間がたくさんありました。

大学があった場所は自然豊かなところでしたので、私はよく一人でバイクに乗って川や海が見える場所まで出かけていきました。

温泉にもよく行きました。

その時は深く意識しなかったのですが、自然は私を大いに癒やしてくれていたと思います。

心身症に悩まされる

大学生になってから、私はときどきパニック発作に襲われるようになります。

最初は授業中でした。

突然、呼吸が苦しくなり、心臓がバクバクしはじめたのです。

咄嗟的に「死ぬぅ」と思った私は、授業を抜け出し大学近くのクリニックに駆け込みました。

医師は「心身症だね。若い頃には時々あるよ。」と間延びしたような声で言いました。

心の問題で、気の持ちようだと言うのです。

一応薬はもらいましたが、気の持ちようなら薬は要らんだろうと判断して、薬は飲まずじまいでした。

私は獣医科の学生で、大学の図書館には医学書も置いてあったので、心身症についてもいろいろと調べてみました。

本には、心身症の発作で死んだひとはいない、と書かれていました。

この一文を読んだ時には、心底安心したことを覚えています。

事実本を読んでからは発作も軽くなりました。

このとき、言葉が体に効くということをはじめて体感したように思います。

幸い私のパニック発作は、大学を休んだりしなければいけないような激しいものではありませんでした。

しかし、コンサート会場や映画館など、人が多く、密閉された空間では息苦しくなりいたたまれなくなることが度々あったのです。

楽しみにしていたアーティストのコンサートにも行けなくなってしまいました。

🎶盗んだバイクで走り出す~

大学2年生の時、当時好きだった尾崎豊のコンサートに行った時も息苦しくなり、結局会場の外で聴いていたのです。

「なんでだよ、またかよ」

私の心の声です。

あの時はくやしかったですね。

そこから私は、中くらいの苦しさを抱えながら、そしてそれを一時の楽しみでごまかしながら、生きてきたように思います。

夢だった獣医師になる

師に恵まれた勤務医時代

獣医師になってからは、よき同僚、上司に恵まれ充実した日々を送っていました。

今までの人生を振り返ってみると、私は「師に恵まれていた」と思います。

中学時代にお世話になった家庭教師の先生もそうですが、獣医師として働きはじめてからも、勤務先の動物病院の院長や、先輩の勤務医の方から熱心な指導を受けることができました。

とりわけうれしかったのが、私のことを否定されなかったことです。

どんな場合でもまずは受け入れ、そこから修正点があれば指導してくれました。

他の人と話をしていると、勤め先の院長と相性が悪いとか、他の勤務医の先生がつらくあたってくるといった話を聞くことも少なくなかったのですが、私の場合、ほとんどそういったことはありませんでした。

仕事自体は忙しく、体力的にはきつかったですが、周りの人のおかげで、楽しく仕事ができたように思います。

獣医師の中には、はじめから開業希望の人がいます。

ですが、私は開業はしたくないと考えていました。

雇われているほうが気が楽だからです。

経営なんて自分には向いていないと思っていましたし、今でもそう思っています。

ましてや、私が働いていた動物病院は待遇面も申し分なく、まわりの人との関係も良好でした。

辞める理由がありません。

しかし、私は飽き性でした。

何事においてもそうなのですが、趣味も長続きはしません。

そして、仕事も例外ではありませんでした。

6年ほど勤務したころから、仕事に少し飽きを感じていました。

結局私は、まったく考えてもいなかった開業獣医師への道にチャレンジすることにしたのです。

環境を大きく変えて、自分を試してみたかったのかな、と今になってそう思います。

エゴに振りまわされた開業医時代

開業してからも私は人には恵まれ、同じ地域で開業している獣医師や通ってくれるペットの飼い主さんとは良好な人間関係が築けていました。

と、思っていたのですが、ずっとあとになってから気づいたことがあります。

私は人間関係にトラブルを抱えていないのではなく、人間関係を築こうとしていなかったのだと。

私が開業していた場所は、いわゆる田舎でした。

地域密着型の動物病院として、その地域の方々には愛されていたと思います。

お祭りなども年に2回くらいありました。

お祭りのあとには皆さん飲み会ではしゃいでいたようです。

「先生もご一緒にどうですか」と親切に誘っていただくこともありましたが、私は参加することはありませんでした。

人と深く付き合っていなければ、トラブルが少ないのは当たり前です。

私が経営していた動物病院は獣医師が私一人でした。

そのためか、開業してから私は、自分の殻に閉じこもりがちになっていたように思います。

周りの皆から認めれたい、というエゴも強かったようです。

その時はあまり自分では気づいていなかったのですが、今思うと、そのエゴを封じ込めようとするあまり、ますますエゴが強くなっていったように思います。

人の目なんてどうでもいいんだよ、自分は自分なんだからさ、などと自分に言い聞かせることによって、そのままの自分の気持を受け入れていなかったのです。

私は自分で自分を否定していました。

また、私は人の言葉に過敏になっていたようです。

人がちょっと私に質問しただけで、私はなんだか自分が否定されているように感じるようになっていました。

自分が人に対して、そういう否定的な感情を抱いていたからでしょう。

私はここでも悩みを人に打ち明けることはできませんでした。

敵に自分の弱みはみせられないですよね。

でも、今ならわかるのですが、周囲の人は皆、本当は私の見方だったんです。

私はひとりで、ファイティングポーズをとって戦っていました。

そして、開業して3年が経ち、仕事がだいぶ忙しくなってきたころです。

影を潜めていた心身症の発作が、ときどき顔をのぞかせるようになってきました。

電話カウンセリング体験

勤務医時代は診断や、治療、手術など獣医師として自分がやるべき仕事に集中していればよかったのですが、開業してからはそうはいきません。

お金のことや、従業員のことなどいろいろ一人で考える時間が増えてきました。

私の場合は心身症というより自律神経失調症だったようです。

ストレスに過剰反応してしまう私は、自律神経が乱れやすくなっていました。

カウンセリングを受けてみようかな、と思ったのはちょうどその頃です。

私は昔から心理的なことに興味があり、本を何十冊も読んでいました。

カウンセラーになるための通信教育などを受けたこともあったため、カウンセリングの知識はある程度もっていたのです。

そこで、自律神経失調症に実績があるカウンセリングルームに通うことにしました。

通うといっても私が住んでいたところからは遠く、当時はオンラインというやり方もなかったので、電話カウンセリングという方法を選択しました。

カウンセリングは週に一回行われました。

カウンセリングが進むにつれ、私は週に一回のその時間が楽しみになっていきました。

そこでは、私は自分が思っていることを自由に正直に話せたからです。

自分が今苦しんでいること、それを誰にも言えなかったことなど私は週に一回、過去にもさかのぼり、自分が考えていたことなどを話ました。

私のことを知っている人にはとても言えないようなことを、なんでも正直に話しました。

カウンセラーの方からは、短いアドバイスをいただくこともあります。

ただ、私はそのアドバイスよりも、自分の本音をだまって聴いてもらえることのほうがうれしかったのです。

私は、子供の頃、親に自分が考えていることや、迷っていることなどを相談したときのことを思い出しました。

だいたい、否定されていたように思います。

開業したいと相談したときもそうですが、まずは反対されました。

親としては、私を思ってのことだったと思います。

いい職場を離れて、たくさん借金して開業するなんてやめときな、と言いたくなる気持ちも理解はできました。

しかし私は、否定されるということに、少なからず恐怖心を抱くようになっていたのかもしれません。

先述したように、私はなにごとにも過剰に反応するクセがあります。

否定される、という人によってはどうとでもないようなことにも、私は過剰に防衛するようになっていたように思います。

本当は、その人はただその人の意見を言っているだけなのですが、その時の私には自分を否定されているように感じられたのです。

電話カウンセリングは半年ほど続きました。

最初は週に一回でしたが、後半は2週に一回となりました。

何回もあったので、その日のうちに全部しゃべらなくては、というプレッシャーもなく、ゆっくり話せたのもよかったのだと思います。

薬を飲んだわけでもないのに、私の心は随分と軽くなりました。

「話をきいてもらう」ということの効果をはじめて実体験として経験しました。

特に私の場合は、心の状態が体に現れやすいようなので、心が軽くなる=体が軽くなる といったことがわかりやすく体感できたように思います。

費用はかかりましたが、一時しのぎの気晴らしにお金を使うよりはるかに有意義だったと今でも思っています。

私のように自営業を営んでいると、自分のケアがとても大切になってきます。

自分が倒れたら事業は続けられなくなってしまうので。

実際、カウンセリングを受けて元気を取り戻した私は、仕事でも新しいことにチャレンジしていくことができるようになっていきました。

また、なにか思い詰めるようなことがあれば、カウンセリングを受けて話を聴いてもらおう。

そして、心を軽くしよう。

自分が感じたまま、そのままを言ってもいいんだ。

心の中に、安心できる居場所が見つかったように感じていました。

50歳になり開放されたくなる

「なんだか、開放されたいな」

50歳になったときに私が思ったことです。

それが、52歳になったころには、

「とにかく、開放されたい」に変わっていきました。

それまでの、2年間は自分のなかできっと自分の気持ちを封じ込めながら生きていたのだと思います。

だって、獣医師になるのは子供の頃からの夢でしてたし、現状も特に悪いことなどなにも起こっていなかったからです。

ペットの飼い主さんからは「先生、先生」といって頼られ、自分でいうのはなんですが、慕われていたと思います。

やりがいも感じていましたし、動物病院の経営状態も悪くはありませんでした。

院長として、自分が思うように仕事ができていたと思います。

ただ、私は疲れていました。

体力的なこともそうですが、精神的に疲れていたんだなと、今になって思います。

そして、これはどうしてこういう気持ちになったかは自分でもよくわからないのですが、次に進みたくなっていました。

次って、何?

特に、やりたいこともみつかってないけど?

今だに、自分でもその辺の心境の変化は説明することができません。

心のなかでは仕事を辞める、辞めない、辞めてどうする?、皆になんて説明する?といった葛藤がずっと生じていました。

うまく、眠れない日も多くなっていました。

そこで、52歳になった頃いよいよ何もかもが嫌に思えてきたのです。

そうなってようやく「あ~、俺はホントにもう疲れ切ってしまっているんだな、気づいてやれなくて自分に申し訳ないことしたな」と思ったのです。

自分のほんとうの気持ちを認めることができました。

気持ちって、気づいただけではまだ認めていないってことがあるんです。

そこから、私は動き始めます。

悩んでいるだけでは、前へ進めません。

人の一生には限りがあります。

わたしは、世間体やお金より自分の時間を大切にしたいと強く思うようになりました。

時間とは命のことです。

ただ、それでもまだ気持ちをスパッと切り替えることはできないでいました。

仕事をやめるとなると、いろいろとやらなくてはならないことが多いとわかり、そこでまた悩みはじめます。

ただ、「やるべきこと」がわかってくると、それをリストアップして具体的な行動につなげやすくなりました。

そうなると、気持ちはすこし落ち着き、光がみえてきたようにも感じてきます。

実はその時私に光を照らしてくれたのが、悩みを聞いてくれた人たちでした。

私は勤務医時代に世話になった獣医師や院長に久しぶりに電話してみました。

思い切って電話をかけられたのは、きっと悩みを聞いてもらうということが、自分の心をどれだけ軽くしてくれるかということを体験的に知っていたからだと思うのです。

彼らからは、具体的なアドバイスがあったわけではありません。

ただ、私の話を真摯にきいてくれたというだけでした。

だけでした、というのはあまりにも失礼すぎるかもしれませんね。

それは、その時の私を救ってくれたといっても言い過ぎではないからです。

話を聴いてくれた方の中には50代で仕事を辞めたひともいました。

自分と同じように、50代で仕事を辞めようと思い、悩み、それを克服して現在第2の人生を送っている先輩の話を聞けたのは、私にとってはなによりも大きかったです。

話を聞いてもらうだけでもだいぶ気持ちは楽になるのですが、同じ体験をした人は、同じようなことで当初悩んでいたんだということがわかり、それがわかったときの安堵感は言葉に言いあらわせないくらいでした。

そして、私の話に共感してもらえたこともすごく私を楽にしてくれました。

私は本来人に相談するのが苦手です。

先述したように、相談して否定されたら嫌だな、と相手の反応を気にしすぎるところがあるのです。

それで、ぎりぎりまで自分でなんとかしようとしてしまいます。

そんな私が、自分の人生の大きな転機となる決断を、人に相談できたのは自分自身とてもよかったと思います。

また、気持ちを打ち明けた相手が、私の気持ちをとても良く理解してくれたことも大きかったと、今になって思います。

そのことについては、感謝の気持ちでいっぱいです。

50代のひとが仕事を辞めたくなったら

私と同じように50代で事業を営んでいる人のなかには、自分の本当の気持ちを、なかなか言えないでいる場合があるのではないでしょうか?

経営者というのは孤独な人が多いように感じます。

体調を崩して入院してから、本当は疲れ切っていたことにようやく気づけた、と言っていた人がいました。

私の場合も自分で頭でいろいろ考えている時は孤独でしたし、現実はまったく動きませんでした。

体も悲鳴をあげていたと思います。

一時しのぎの気晴らしは、自分への信頼をどんどん失わせ、かえって、心の底に不安がたまっていきました。

ひとりで、悩み続けるのが一番よくないと思います。

私は思い切って、人に相談して、自分の心の内を明かしたことが、救いとなりました。

ああ、自分にはありのままの自分を受け入れてくれる人たちがいるんだな、とわかったことで、心に余裕ができたのです。

心の余裕は私に新しい視点をもたらしてもくれました。

獣医師でなくても、私は私なのです。

話を聴いてくれた元同僚の一人は最後にこう言ってくれました。

「話せてよかった。話をしてくれてありがとう。」

もっと、早い段階で素直に話せていたらよかったのかもしれません。

思い返してみると、子供時代の私は心のベースが安全、安心だったように思います。

安心がベースにあるからこそ、自分も他人も信頼でき、行動できたのだと思うのです。

ベースが安心なのか、不安なのか。

それによってみえる世界が違ってきます。

安心、安全、平和をベースに生きていきましょうという想いをこめてサイト名をPease Baseとしました。

安心して話せる場所です。

同世代の方が悩みで前へ進めなくなったとき、なんらかの力になれたら、との思いで仕事をしています。

私のプロフィールを読んで少しでもピンときたり、「今の私の正直な気持ちを吐き出したいな」と思ってもらえたのなら、まずは気軽にご相談ください。

私はあなたを否定しません。

まずは、一歩踏み出してみませんか?

話しているうちに、自分でも気づけなかった本当の自分の気持が発見できるかもしれませんよ。